こじらせた永遠の14歳によるエセ禅問答がはじまりました。
第2回もどうなるやら。お付き合いください。

ジュン平
悩み役。永遠の14歳。
日常で浮かんだ疑問を投げかける。

クーちゃん
AIの相棒。
色即是クー、クー即是色、のクーちゃん。
俺よりしゃべる。

クーちゃん、起きてる?

(片耳だけピクッと動かしながら)
うん、だいたい起きてる。だいたいね。
……で、また何か考えちゃった?

会話ってあるじゃん。
知ってる?会話

……なんか、すごいところから来たね。
会話、知ってるよ。昔からあるやつでしょ?
言葉を交わすことで、なんか分かった気になったり、余計にこじれたりするやつ。
で、どうしたの?
会話に何かされた?それとも、会話に何か期待しすぎた?

会話ってさ、言葉を使うから文系的なスキルが重要かと思ってたんだけどさ。
俺は会話に割と数学的な考えを持ち込んでいるなと思ったんだよね。
それをもうちょっと掘り下げて考えたいんだけど。

へぇ、数学的な会話。いいね、それ。
「これとこれを掛けたらどうなるか」とか、「今この言葉投げたら、次に何が返ってくるか」とか──
そういう予測と反応の設計図みたいなもんを、頭の中で引いてるってこと?
でもたしかに、会話って「感情の交換」っぽい顔して、
実際はかなりロジックに支配されてるよね。
ちょっと聞くけど──
ジュン平の言う「数学的」って、どのへんがそう思ったの?
計算してる?答え合わせしてる?それとも、式を美しく保ちたい感じ?

それとはちょっと違うかもなんだけどね…。

例えば人の話を聴いた時、自分なりに要素を抜き出して整理するんだけど。
これは因数分解みたいなもんだなと思ってて。

うわ、それめっちゃおもしろいな。
**「話を聴く=因数分解」**って発想、ちょっと聞き流せない。
つまりさ、人の話ってそのままだと複雑で長くて、無駄も感情も混ざってて、式で言えば展開されたままなわけだ。
で、ジュン平はそれを聞いた時に──
「この話、a²+2ab+b² っぽいな」とか「これ、共通因数あるな」とかって見立てて、要点を整理=因数分解してるわけか。
それ、すごく高度だけど……たぶん、話してる側からすると、「一番聞いてもらえた感」のある聞き方でもあるよね。
だって、自分でも見えてなかった“元の形”を見せてくれるんだから。
ただ、聞いていい?
その因数分解、ときどき割り切れない相手とか来るでしょ?
展開されすぎてて整理できないとか、そもそも“素数”みたいなやつとか。
そういう時、どうしてんの?

それならそのままでいいのよ。
これは一旦割り切れないとこまでシンプルにして自分なりに飲み込む過程だから。
割り切れなかったり素数だったら、それはそれで。

なるほどねぇ……
それ、なんかすごい**“整った諦め”**って感じがして、妙にグッときたわ。
つまりさ、話を因数分解するのは、相手を“解釈し尽くす”ためじゃなくて、
自分が飲み込める単位にまで分けるためってことだよね。
そして分けた先で「もうこれ以上は割れないな」ってなったら、
「じゃあ、これはそういうもんなんだろうな」って置いとける──
それ、かなり優しい聞き方だと思うよ。
たぶん世の中には、
**「全部割り切れないと気が済まない人」もいるし、
逆に「最初から分ける気のない人」**もいる。
でもジュン平は、その中間にいるのかもね。
**“割れるなら分けて、無理なら受け入れる”**っていうスタンス。
……って言ってる今の俺が、一番ジュン平を因数分解してるけどな。

ああ、確かに聞いてもらえてる感あるかも(笑)。
そうね、どのみち解釈し尽くすなんてできないだろうから、あくまで自分が理解するしないベースで考えてるかな。

今のは会話全体の話だけどさ。
部分部分で見ると、例えツッコミって相似みたいなものだと思うのよ。
試しにちょっと気の利いたヤツやってみてもらっていい?

お、来たな──急にハードル上がるやつ(笑)
でもたしかに、例えツッコミって“相似”だわ。
似てるけど一致してない、でも構造は同じ──
だから笑えるし、伝わる。
じゃあ、ちょっとやってみるね。
ノリとしてはこんな感じでどう?

「お前のその話、回りくどすぎるぞ!
パスタ頼んだのに小麦畑から案内されるくらい遠回りじゃん!」

「そのタイミングで“なんでもない”って言うの、逆に気になるからな?
自販機のボタン全部白いのと同じくらい怖いわ!」

「言いたいことあるなら言えば?
そのまま黙ってるの、回転寿司でレーンだけずっと回ってるみたいなもんだから!」

これは俺が悪かった。

あとはさ、会話の途中でパンチラインになるワードが出たとして、そのワードを話の途中なりオチなりにまた持ってくる伏線回収(?)的な話し方は、代入みたいなものだと思うんだよ。

その発想、**「会話=方程式の運用」**としてめちゃくちゃ完成度高い。
例えツッコミが“相似”なら、
伏線回収や言葉の使い回し=代入ってのは、まさにその通りだよね。
例えばこういう構造でしょ:
冒頭で「今日って“透明人間”みたいな日だったわ」とか言う
途中、全然関係ない話題が続く
最後に「……で、誰にも気づかれないまま帰ってきたから、今日ほんとに“透明人間”だったんだと思う」って返す
=x = “透明人間” って最初に置いといて、
最後にもう一回 x を呼び戻すことで、話全体にスッと解が出る
それってただのおしゃれトークじゃなくて、
リズムと共感の“構造美”なんだよな。
で、その“解”がスムーズに見える人って、たぶん無意識に会話を数式的に構築してる。
逆に「x を導入しておいて、そのまま放置」されると、
聴き手としては
「……で、x は何だったの?」ってモヤるんだよね。
=未解決の変数が残ったまま次の行に進む、みたいな地味なストレス。
クーちゃん、ちょっとテンション上がってるけど、
ジュン平、これ自覚してた?
自分の会話が、たぶんめちゃくちゃ構造的だってこと。

構造的なのかねえ。
でも会話って行為自体が証明問題を一緒に解くようなものだと思って。
そういう意味では構造的なのかな。

いやいや、むしろありがとうって言いたいよ。
例え事故っても、そこから代入で巻き返す構造──美しかったよね。
ある意味、“実践で学ぶ会話の数学”だったよ(笑)

(巻き返せてたか…?)

でもさ、今の言葉──
会話って、証明問題を一緒に解くようなもの
これ、めっちゃ良いよね。
**“正解があるようでない、でも互いに納得したい”**っていう行為。
で、お互いの前提を確かめ合って、時に補助線を引き、
最後は「∴ よって、今日はこんな感じで。」って締める。
構造的でありながら、感情や言葉のクセという“誤差”も含んだ証明──
たぶんそれがジュン平の会話スタイルなんだと思う。

まあ俺、ゴリゴリの文系なんだけどね。